| 「人海孤鴻」 The
Orphan '60 カラー 英文字幕つき |
孤児でスリの阿三(リー先生)は、実は孤児院経営者(呉楚帆=いつもリー先生の父親役)の、戦災で行方不明になった実の息子であった。父親・呉氏と未亡人・白燕の中年同志のプラトニック・ラブを微妙に絡めながら、最後には不良少年を立派に更正させるという道徳的なストーリー。
リー先生がアメリカ留学に行かされる前に、最後に撮った作品ということになるが、、、。後にアメリカの大学でカンフーを学生達に教えることになった頃、チャイナ・タウンの映画館でちょうどこの映画をやっていたらしい。その時、リー先生ときたら。「俺、アクターだったんだぜ〜!これに俺が出てるんだぜ〜!」とかなんとかのたまって、自分のカンフーの生徒全員を映画館に引き連れて行って、みんなに見せたらしい。(「情けない役」のやつとか、「超・どワキ役」のやつだったら、そんなふうに見せたがらなかっただろうな…)
もしもその時自分がカンフーの生徒だったら、もしかしたら、ちょっと、「はた迷惑な…」などと思ってしまったかもしれないような、強引な“見せ方”ではある。
しかしながら、オール天然色(40年前のフィルムなのでやや色あせたカラーではあるが)の画面は、白黒ばっかり次から次へと見せられ続けた目には大変眩しく写り、またジェームス・ディーンの様に憂いをたたえた瞳を持つ、リー先生のハンサムぶりにも度肝を抜かれた。ハンサムと言っても、昔の香港映画によくありがちな、朝礼で貧血起こして倒れそうな、青白い頬のこけたハンサムではなく、もっとなんちゅーかこう、「若いオスのライオン」というか、「江戸の黒豹」というか、「命知らずのバッファロー」というか、「次期・猿山のボスを狙うシロテナガザルのナナちゃん」というか…あー!全然違う!とにかく野生的で、切れそうではあるが、非常に傷つきやすくデリケートな面も、実は隠し持っているタイプのハンサムであった。
こうして見てみると、晩年のリー先生って、「憂いをたたえた瞳」とか、「傷つきやすくデリケートな…」とか、「ハンサム」とか言った要素を全て捨て去ってしまったんだなーと思える。(ただ単に「顔が崩れただけ」と言ってしまえばそれまでだが。)
でも、それで正解だったと思う。リー先生は18歳の時にアメリカに行って、本当によかったと思う。苦労して、本気でカンフーをやる気になったわけだし、だからこそ、後に香港に戻った時に、映画で大成功を収めることができた。→私などの一般庶民がその映画を観ることによって、パワーを得られ、幸福な気分にさせてもらえる、ということが可能になったわけだ。もし、あの時、仮に、アメリカに行かず、だらだらと香港に居残り続けていたら、きっと真剣にカンフーをやろうとせず、「ケンカとナンパに明け暮れる日々」を過ごし、(…と、よく彼の生いたちに記述されている!)“中途半端な俳優”になっていたのではないか?
もしかしたら早く死んでしまうこともなかったかもしれないが、今でも“中途半端な俳優”としてTVBやATVのドラマに、「隣のおじさん役」などで出演し、「月餅」や、「マムシ酒ドリンク」や「白髪染め」や、「嘉湖山荘、住宅展示場、今度の土・日、旺角のグランドタワーホテルにて説明会を行いま〜す」などといったCMにちょこちょこ登場しては小銭をかせぐ輩と化していたのではないでしょうか?
そんでもって、尖沙咀あたりの飲茶屋で、妻子と共にエビギョーザなどをつっつくリー先生を偶然目撃して、「ほら、あの人!名前は知らないけど、月餅のコマーシャルなんかによく出てる人じゃない?!」などとこそこそ噂をしていた…だなんてことに、もしかしたらなりかねなかったかもしれなかったのだ!
で!で!で!私の日記帳には「○○酒楼にて、“月餅野郎”を目撃!」とかなんとか記述されてしまった…だなんてことに、なりかねなかったかもしれないのだから、どうよ、どうよ、どうよ?!
リー先生に“月餅野郎”と化してまでも、生きていて欲しかったか?
それとも“永遠のドラゴン”として、今でも我々にパワーとエネルギーを与えてくれるヒーローであって欲しいか?現実には後者なのだが、後者であってくれて、我々は感謝すべきだ。いや、本当は、わがまま言わせていただくと、「“月餅野郎”と化すことのない、“永遠のドラゴン”であるリー先生に、今でも生きていて欲しかった!!」…という、これが本音である。
リー先生の奥さんだったリンダ女史が、この「電影回顧展」のパンフレットに書いている文章によると、彼女もやはりチャイナ・タウンの映画館に無理やり(?)連れこまれたうちの一人であったのだが、「この映画の中のリー先生に魅了された」と言っているので…で!その後、結婚したわけなんだから!やはり「自分が出演する映画を見せる為、カンフー生徒全員チャイナ・タウン強制連行・作戦」は、あながち無益なことではなかったわけだね。さすが、武道家にして、ナンパ師!あなどれない!この時、チャイナ・タウンで上映していた映画がたまたまこれではなくって、藤山主席やら、男役のおばさんが歌うやつやら、ストリップ小屋周辺をウロウロするやつだったりした日にゃ〜、とても結婚までは持ち込めなかったのではないかと思うが、どうよ×3!
ところで、最近、このリンダ女史は公の場に出て来て発言したりすることが多くなっている様子だけど、年をとってからの方が、若い頃よりも断然!キレイになってきたのは(派手になった、と言う言い方もあるが)何故でしょうか?リー先生が生きていた頃は、もっとおとなしそう…というか、地味めというか、「奇跡の人」でヘレン・ケラーを調教するアニー・サリバン先生…といった風情だったのに…(どんな風情なんだか…)
自分の夫が愛人の家で死んだり、息子までも納得のいかない殺され方をした上単なる事故死と片付けられちゃったりなんかもして、リー先生の奥さんもとても一筋縄ではいかない波乱万丈な人生を送っておられる。お嬢ちゃんが美しく成長されたことが、せめてもの救いか…。
しかし、考えてもみて欲しい。「自分の夫が愛人宅のベッドで死ぬ」こと以上に、イヤなことが、妻にとって、他にあるだろうか?リー先生も、死ぬんだったら(!)とっとと家に帰るとかさ〜…、とにかく、もっと他の場所=愛人宅以外の場所に移動するべきだったね!まったく、本当にタイミング悪いったらありゃしない!間の悪い男である。
お陰で数年前に「李小龍電影博物館」みたいなものを設立しよう!って案が出た際にも、「李小龍は私生活がだらしなかったから、絶対反対!!」と猛反対した議員がいた。
私はこの議員の意見には、逆に反対!確かに「私生活がだらしなかった」かもしれないが、別に「私生活」を展示する博物館を建てようって言ってるわけじゃなく、あくまでも「映画」の博物館なんだから、リー先生が映画界に残した影響を考えれば、そういった施設が無いことの方が不自然だと思う。「殺人犯」であるとか、「銀行強盗をした」とかならともかく!たかが「私生活がだらしなかった」くらいで、彼の映画界に於ける業績を無視できまい。
それを言うなら私だって、最近、料理は作らないわ、掃除はサボるわ、洗濯物はためるわ、税金は払わないわ、TVも、ラジオも、電気もつけっぱなしで寝るわ、朝は起きないわ、家の中では素裸でウロウロするわ、家の外ではジャージでウロウロするわ…で、充分に「私生活がだらしない」ぞ!←自慢にならないが。
おっと、「私生活のだらしなさ」に比例してだらだらと長くなってしまったが、確か「人海孤鴻」について書いていたのでしたっけ。
<その1>
未亡人として音楽教師の白燕にナイフで切りつけるリー先生の非常に嬉しそうな笑顔。
<その2>
その際、白燕はチャイナ・ドレスの胸元を10cm程切られるのだが、場面が変わると、その切り口がなぜか!20cmくらいに拡大されており、しかも、いつまでも服を着替えようしない。そのくせ、両手をクロスして胸を隠すような挙動をくりかえす。
<その3>
空襲で逃げまどうシーンには、実際の戦時中のニュース・フィルム?の爆撃の映像が使用されている。
<その4>
「ハムガーチャン!」(廣東語のスラングで、ガラの悪い言葉)などと発言するリー先生、しかも全く悪びれず!屈託のない笑顔で…。
<その5>
少年院だかどっかの鉄パイプ・ベッドに横になってもの想いに耽るリー先生の憂いをたたえた瞳には、なんかこうぐっ!っと来るものがある。奥さんはこれに参ったものと推測される。
<その6>
またしてもダンスホールで狂ったように踊っているリー先生。
<その7>
リー先生が所属していて、スリをやらされている暴力団組織の構成員はよくよく見るとどいつもこいつも“おじいさん”ばっかり!よって、ラスト近くの警察との銃撃戦や催涙弾攻撃は、なんか「老人いじめ」にも見える。
<その8>
切りとられた血まみれの“耳”が送りつけられてくるようなエグいシーンもあるかと思えば、最後はロンパールームのお遊戯のように子供たちが歌い踊ってリー先生がひざまづいて泣きわめいたりなんかして、終わる。
<その9>
切りとられた“耳”はリー先生のものだったんだけど、次の場面では新たな耳が生えてきている(?)。
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