『実録・ブルース・リーと私』(嘘)
最近ブルース・リー・ブームとか、、。
少し前までそう言われていたのはキャラクターグッズ中心によるブームとかで、私には実感がなかったのですが、その言葉に便乗する形で、今年になって一気にリーの映画が再公開されたり、ビデオ発売されたりと、ブームという程の物ではないにせよ、リーに再び接する機会が増えているのはファンとしては嬉しい限りです。
私がブルース・リーの映画に初めて接したのはまだ小学生の時、面白い映画らしいと友人に半分無理矢理付き合わされて当時2番館で上映されていた『ドラゴン怒りの鉄拳』を見に行ったのが最初です。地方都市でしたので2本立てだったはずでしたが、同時上映がなんだったかは全然覚えていません。(つい2,3ヶ月前までこの上映館で配っていた当時の上映スケジュール表が残っていたのですが、部屋を大整理した時迂闊にも中身を見ないまま捨ててしまいました。)この当時公開された作品で見た記憶のあるものから判断すると、ジョージ・ロイ・ヒル監督の『スティング』だったような気もしますが、ロードショー館ではなく2番館だったので、少なくとも『空手アマゾネス』でなかった事だけは確かです。
まあそれはともかく、やはりこの映画は衝撃的でした。ブルース・リーのアクションも凄かったけど、日本人が悪さをしてリーに懲らしめられてるストーリーや悲壮感あふれるラストシーンなど、それまでは親に連れられて見に行った東映まんがまつり(笑)や東宝チャンピオンまつり位しか映画を見ていなかったので、初めてドラマという物に触れた経験です。この時映画館で売られていたこの「怒りの鉄拳」のポスターを買って帰りましたが、そのポスターは今現在も自分の部屋(住んでいる所は変わりましたが)に貼られています。当然私も感化されてレコードやヌンチャクを買ったりしました。
当時リーの映画を見に行くと併映作品が「小さな恋のメロディ」や「チャップリンのサーカス」「キッズ」であったり「タワーリング・インフェルノ」「ダーティハリー3」「激走!5000キロ」(この映画、私が見た時この冴えないタイトルを映画館側が勝手に原題の”ガム・ボール・ラリー”と変えて上映してました)であったりと巧い具合に面白い作品ばかりだったので、リーの映画から始まった”映画体験”が、私を武道方面に走らせるのではなく映画少年へと走らせていくことになります。
当時「燃えよドラゴン」のヒットで数多のカラテ、カンフー映画が出てきましたが、私はその殆どを見ていません。見たのというと当時いち早くTVでオンエアされた梁小龍(ブルース・リャン)の「必殺ドラゴン鉄の爪」(74.5.25劇場公開から僅か1年後の75.5.31に放映)くらいでしょうか。まあ当時としても余り見る気を起きさせるものが無かったということもありますが、これが武道方面に走るに至らなかった事でしょうか。
しかしながらブルース・リーの映画だけは別格で、その後ビデオデッキが出始めた時、買ったらリーの映画だけは全部録画するんだと誓い(当時はテープも高かった)達成(「危機一発」「怒りの鉄拳」初回放映には間に合いませんでしたが、、)、ホーム・ビデオ時代が到来した80年代に続々と発売されたリーのビデオソフトも全作買ったりと、様々な映画を見るようになって忘れていった沢山の映画の中にあってもリーの映画は私自身の心に忘れる事なく残っている映画です。いわば、ブルース・リーの映画こそ私の映画の原点でもあるわけですね。
世間的にはリーの「燃えよドラゴン」は73年の12月22日に公開されて大ヒットし、74年の5月31日までのなんと約5ヶ月に及ぶロングランとなり、この年の興収第2位(観客動員数77万人興収6億円)となっていますね。
(因みに1位はその後公開された、同じワーナーによる「エクソシスト」で7月から4ヶ月のロングランで観客動員数106万人興行収入9.6億、これによりカラテ映画ブームからホラー映画ブームにスライドします)
「燃えよドラゴン」が公開された事によって引き起こされたカラテ・カンフー映画ブームで数多のカラテ・カンフー物の映画が便乗公開されましたね。
曰く「片腕ドラゴン」「嵐を呼ぶドラゴン」「地獄から来た女ドラゴン」「帰ってきたドラゴン」、果ては「黒帯ドラゴン」「子連れドラゴン女人拳」「ドラゴンVS七人の吸血鬼」「空手アマゾネス」なんて映画まで。しかし作品的にレベルの低い物が多かった事もあって「エクソシスト」で到来するオカルト映画ブームにとって変わられます。
そういった中で公開された生前のリーの映画はやはり他のカンフー物とは一線を画する物でした。80年代に入って新たなスター、ジャッキー・チェンが登場してきましたが、リーのストリートファイト的なアクションに比べると今ひとつリアリティが無くリーを体験した人たちにとってはリーを越える存在にはなり得なかったものでした。(個人的にはジャッキーはジャッキーで彼の持ち味が生かされたアクションもいいとは思いますが)
ところで「燃えよドラゴン」でリーが登場したときは既にリー自身は故人でこの世の人ではなかった訳ですが、当時映画の解説などでは”ジェームス・ディーン以来の衝撃”なんて書かれていたりして、当時はジェームス・ディーン以来なんて大げさな、なんて思っていたのですが、当時のカンフー映画ブームや他の様々なアクション映画にカラテ・カンフーもどきのアクションシーンが現れ出したりとリーの影響を振り返るとジェームス・ディーン以上の影響力であった事を再認識させられます。そればかりか逆に近年のマーシャル・アーティストがリーの影響でその道に入った人が多数いたり、社会やエンターテインメントの世界などで見られるリーからの影響の片鱗を見るにつれ、これほどの影響を与えた映画人は他にいないのではないかという思いにさせられますね。
ブルース・リーの本名”李振藩”は”サンフランシスコを揺るがす男”という意味合いで命名されましたが、サン・フランシスコのチャイナ・タウンどころかハリウッド、そして全世界を揺るがす男となった訳です。
Last Modified 26,Oct.1997 takeboh@takeboh.com