ブルース・リー フィルモグラフィ
企画倒れ物
リーが生前残していた写真などで企画が予定されていながら実現しなかった物が多々有ることが判りますが、それらを紹介します。
Number One Son
65年頃「グリーン・ホーネット」「バット・マン」のプロデューサー、ウイリアム・ドジャーが企画していたTVドラマ。
中国系アメリカ人の探偵が活躍する往年のTVシリーズ「チャーリー・チャン」シリーズの後日談というかその息子が活躍するドラマだったようです。(情報提供:李振弱さん Thanks!)
64年のロングビーチ空手トーナメントでのブルース・リーの演舞に目を留めたドジャーがリーにスクリーンテストを行い(このときのフィルムは「ドラゴン拳法」として日本でも知られています)、同番組のタイトルロールに起用する事を決定しますが、結局予定されていた放送枠でオンエアされていたドラマの続映が決定したため、このドラマの制作はキャンセルされました。しかしこの事がドジャーが次に企画したTVドラマ「グリーン・ホーネット」へリーを起用させる事に繋がります。
サイレント・フルート
70年頃、リーと弟子のジエームス・コバーン、スターリング・シリファントで企画していた映画。
当時ワーナー映画に企画が持ち込まれ、リー等3人はインドにロケハンまでしてかなり企画が進んだようですが、ワーナーが東洋人のリーが主役と言うことに難色を示し、企画が頓挫した作品。
この企画は日本のプロダクションへも合作の話が持ち込まれ、日本側は石原裕次郎をキャスティングし、日本ロケも予定されていたようで当時日本のメディアでも企画が紹介されたこともあったようです。
その後シリファントはストーリーの一部をリーの了承を得て『ポセイドン・アドベンチャー』に流用、リーもこのアイデアを『死亡遊戯』へと転用します。
後年、米アブコ・エンバシー映画がこの脚本を買い、デイビット・キャラダイン主演で映画化して日の目を見た作品です。
The Warrior
リーが企画に参加し脚本まで書いたTVシリーズ。グリーンホーネットで失敗したABC放送がリーを主役にする事に難色を示し、結局リーは降ろされ、デイビット・キャラダイン主演で「燃えよカンフー」(Kung-Fu)というタイトルで制作されました。
このTVドラマの大ヒットでアメリカでもカンフー物が流行るようになって来ますが、後年その続編がリーの息子・故ブランドン・リーによって演じられているのが興味深いですね。
武道
72年にコンコルド・ピクチャーズを設立したリーが当初企画していた作品。そのプロットを語るリーの録音が残っており、その断片をレコード「My Way of Kung Fu」やドキュメンタリー映画「ブルース・リーの生と死」で聴くことが出来ます。
特に「ブルース・リーの生と死」ではリーが語るプロットを元に画面をシミュレーションしていたりして面白いですね。
この作品は「ドラゴンへの道」として結実していきます。
細鳳(鳳細)
リー関係の書籍では「鳳細」と紹介されていますが、「細鳳」が正しいそうです。
72年頃、リーが企画していた作品で「ドラゴンへの道」のセットで撮影されたスチル撮りが数多く残され有名な作品です。
内容は剣劇物でリーは中国では有名な剣豪に扮する予定でした。
「細鳳」はブルース・リーの幼名としても実際に使われていた女の子の名前ですが、何故その名前がこの作品に付けられたのでしょうね。単なる仮題というか題ですらない単に「ブルース・リーの企画」という意味合いの名前だったのかも知れません。
ところでここのところ各方面でご活躍のEちゃん女史によれば、「鳳」は「龍」と対を成す女性名で、「小」も「細」も同じ意味合いという事で男の名前「小龍」を女の子版にすると丁度「細鳳」になるということです。成る程〜、目から鱗ですね。
年羹堯
1972年末頃、ショウ・ブラーザースとリーとの間で持ち上がった企画。中国に実在した悲劇の武将年羹堯を主人公にした歴史アクションのようで、ショウ・ブラザースで撮影されたと言われている弁髪姿の扮装をしたリーのスナップ写真が多数残されており、この映画の為と思われます。
結局はコンコルドプロダクションとワーナーとの間で「燃えよドラゴン」の話が決定しお流れとなったようです。
右の写真は香港の「小龍館」で売られていたそのスナップ写真が使われている絵ハガキ。→
その他
Last Modified 16, Sep. 2001 takeboh@takeboh.com